第8回 「感情と理屈はどちらが先か?」
ある事象に直面した時、人は「感情」を先に抱くのか、「理屈」を先に考えるのか? 科学的根拠ではなく、私自身の「感覚的根拠」で言う。当然、「感情」が先である。
私は高所恐怖症である。6階にある教室のベランダに足を一歩踏み出すだけで身震いする。怖いという感情が沸き起こるのだ。決して転落することはない(理屈)と分かっていてもだ。→ 感情は理屈に優先する。
台詞が何であろうと、行動をどう取ろうと、先立つものは「感情」である。沸き起こる「想い」。
私は感情の動きを心電図の折れ線グラフを例に取って指導する。横軸を時間経過、縦軸を感情の熱量とするのである。感情の折れ線は絶えず揺れ動きながら進んでいき、台詞も行動もこの折れ線グラフ上で行われることを前提とする。
折れ線の傾きが急であれば感情の起伏は大きく、緩やかであれば感情の変化が小さい。登場人物を演じる学生には、実際に折れ線グラフの中でその感情の起伏や熱量の変化を指摘して演技指導を行う。
そしてこの折れ線グラフは決して止まってはならない。心臓の停止があってはならないのである。登場人物として「生きている」ためには。
私は高所恐怖症である。6階にある教室のベランダに足を一歩踏み出すだけで身震いする。怖いという感情が沸き起こるのだ。決して転落することはない(理屈)と分かっていてもだ。→ 感情は理屈に優先する。
台詞が何であろうと、行動をどう取ろうと、先立つものは「感情」である。沸き起こる「想い」。
私は感情の動きを心電図の折れ線グラフを例に取って指導する。横軸を時間経過、縦軸を感情の熱量とするのである。感情の折れ線は絶えず揺れ動きながら進んでいき、台詞も行動もこの折れ線グラフ上で行われることを前提とする。
折れ線の傾きが急であれば感情の起伏は大きく、緩やかであれば感情の変化が小さい。登場人物を演じる学生には、実際に折れ線グラフの中でその感情の起伏や熱量の変化を指摘して演技指導を行う。
そしてこの折れ線グラフは決して止まってはならない。心臓の停止があってはならないのである。登場人物として「生きている」ためには。