〈寄稿〉ピアノ専攻 特別教授 岡原慎也氏「愛と熱意の話」ー空の向こうの物語を観劇してー
本学ピアノ専攻 特別教授の岡原慎也氏が、
3月に上演されました「空の向こうの物語」の観劇感想をお寄せ下さいました。
全文を掲載させて頂きます。
3月に上演されました「空の向こうの物語」の観劇感想をお寄せ下さいました。
全文を掲載させて頂きます。
岡原慎也 特別教授
愛と熱意の話
恥ずかしながらこの年になるまで、ミュージカルなるものを見たことがなかった。ちなみに私は羽鳥さんと同級生の年齢である。
実は大学一年生の時、同級生に無理矢理チケットを買わされて、東京の某オペラ団体の公演に行ったことがある。確か演目はモーツァルトのフィガロの結婚であった。九州のイナカから出てきた少年に取って、どこから見ても日本人が金髪のカツラをかぶり、18世紀ヨーロッパの宮廷衣装を着て歌う姿は、ある意味ショッキングな光景であった。そのせいか、学生時代に体験したオペラはその一度きりだった。
その後ドイツに留学した際には、周囲につられて数度オペラには行ったものの、日本人留学生がよくハマるオペラ三昧と言うには程遠いものだった。その数少ないオペラ体験で知ることになった大歌手のヘルマン・プライ、そしてテオ・アダムと後年、日本で共演することになろうとは、当時は想像すらできなかったのは言うまでもない。
私が昨年、2023年より吹田市のメイシアターで始めた、ポラリス国際音楽祭が10月下旬に終わった。無事終わってホッとしたのも束の間、それは同時に次の年へ向けてのスタートでもある。来年は何をしようかと思いを巡らせていた時に、何の脈絡もなく、唐突に羽鳥さんの顔がポンと頭に浮かんだ。そうだ、大阪音大はミュージカル・コースがあったはずと、大学のサイトからミュージカル・コースのページに入ると、案の定羽鳥さんのメッセージと学生の練習風景が出てきた。「これは使えるかも」と、失礼ながら私は直感的に思った。何よりみんなの真剣さがヒシヒシと伝わってきた。
早速羽鳥さんと連絡を取ろうとしたが、長らく大学の同僚であったにもかかわらず、私は彼のメルアドを知らなかった。校内ですれ違う際に軽く挨拶をする程度で、立ち話すらしたことがなかったのである。そこで大学の事務方に彼のメルアドを聞き、音楽祭のプレイベントでのミュージカル出演を打診したところ、速攻で返信があり、実際にお会いすることになった。
新K号館のミュージカル部屋を訪ねると、そこには羽鳥さんと教育主任の松田さんがおられた。お二人とも大変ざっくばらんなお人柄で話が弾んでいたところ、松田さんがおもむろに口を開いた。「私、大学時代に岡原先生に副科ピアノを習ってたんです」私は固まった。青天の霹靂とはこのことである。数十年前の東京芸大での副科ピアノ担当の学生を覚えていないのは致し方ないとしても、その元学生とこうして大阪音大で再会するのは、ほとんど奇跡である。
うろたえた私は、「あの、私何か失礼なこと言ったりやったりしてませんよね?」などと間抜けなことを聞くのがやっとであった。お二人はぜひ学生の公演を実際に見て欲しいとおっしゃり、それではと言うことで3月11日の「空の向こうの物語」に行くことになった。正直、私はあまり期待していなかった。最後まで退屈せずに座っていられたらいいな、程度の思いしかなかったのである。
「空の向こうの物語」は、元SF大好き少年であった私好みの、時空を超えたファンタジーのストーリー。幕が開くとかつてのオペラ体験のような違和感もなく、極めて自然に引き込まれていった。もちろん出演者それぞれ、個人により能力はまちまちである。踊りがワンテンポ遅れる子もいれば、歌の音程が怪しい子もいた。それはそうだろう、多分全員が譜面を読めるわけではあるまい。入学するまで踊りが未体験、ということもあるだろう。それらを乗り越えてあれだけのものを作り上げられたのは、何より先生方と学生たちのミュージカルに対する強い「愛」と、指導者たちの途方もない「熱意」のおかげである。そしてその愛と熱意こそが、今日本の教育の現場から急速に失われつつある、人を育てる原動力なのである。最後のカーテンコールでは、不覚にも目頭が熱くなった。
実は大学一年生の時、同級生に無理矢理チケットを買わされて、東京の某オペラ団体の公演に行ったことがある。確か演目はモーツァルトのフィガロの結婚であった。九州のイナカから出てきた少年に取って、どこから見ても日本人が金髪のカツラをかぶり、18世紀ヨーロッパの宮廷衣装を着て歌う姿は、ある意味ショッキングな光景であった。そのせいか、学生時代に体験したオペラはその一度きりだった。
その後ドイツに留学した際には、周囲につられて数度オペラには行ったものの、日本人留学生がよくハマるオペラ三昧と言うには程遠いものだった。その数少ないオペラ体験で知ることになった大歌手のヘルマン・プライ、そしてテオ・アダムと後年、日本で共演することになろうとは、当時は想像すらできなかったのは言うまでもない。
私が昨年、2023年より吹田市のメイシアターで始めた、ポラリス国際音楽祭が10月下旬に終わった。無事終わってホッとしたのも束の間、それは同時に次の年へ向けてのスタートでもある。来年は何をしようかと思いを巡らせていた時に、何の脈絡もなく、唐突に羽鳥さんの顔がポンと頭に浮かんだ。そうだ、大阪音大はミュージカル・コースがあったはずと、大学のサイトからミュージカル・コースのページに入ると、案の定羽鳥さんのメッセージと学生の練習風景が出てきた。「これは使えるかも」と、失礼ながら私は直感的に思った。何よりみんなの真剣さがヒシヒシと伝わってきた。
早速羽鳥さんと連絡を取ろうとしたが、長らく大学の同僚であったにもかかわらず、私は彼のメルアドを知らなかった。校内ですれ違う際に軽く挨拶をする程度で、立ち話すらしたことがなかったのである。そこで大学の事務方に彼のメルアドを聞き、音楽祭のプレイベントでのミュージカル出演を打診したところ、速攻で返信があり、実際にお会いすることになった。
新K号館のミュージカル部屋を訪ねると、そこには羽鳥さんと教育主任の松田さんがおられた。お二人とも大変ざっくばらんなお人柄で話が弾んでいたところ、松田さんがおもむろに口を開いた。「私、大学時代に岡原先生に副科ピアノを習ってたんです」私は固まった。青天の霹靂とはこのことである。数十年前の東京芸大での副科ピアノ担当の学生を覚えていないのは致し方ないとしても、その元学生とこうして大阪音大で再会するのは、ほとんど奇跡である。
うろたえた私は、「あの、私何か失礼なこと言ったりやったりしてませんよね?」などと間抜けなことを聞くのがやっとであった。お二人はぜひ学生の公演を実際に見て欲しいとおっしゃり、それではと言うことで3月11日の「空の向こうの物語」に行くことになった。正直、私はあまり期待していなかった。最後まで退屈せずに座っていられたらいいな、程度の思いしかなかったのである。
「空の向こうの物語」は、元SF大好き少年であった私好みの、時空を超えたファンタジーのストーリー。幕が開くとかつてのオペラ体験のような違和感もなく、極めて自然に引き込まれていった。もちろん出演者それぞれ、個人により能力はまちまちである。踊りがワンテンポ遅れる子もいれば、歌の音程が怪しい子もいた。それはそうだろう、多分全員が譜面を読めるわけではあるまい。入学するまで踊りが未体験、ということもあるだろう。それらを乗り越えてあれだけのものを作り上げられたのは、何より先生方と学生たちのミュージカルに対する強い「愛」と、指導者たちの途方もない「熱意」のおかげである。そしてその愛と熱意こそが、今日本の教育の現場から急速に失われつつある、人を育てる原動力なのである。最後のカーテンコールでは、不覚にも目頭が熱くなった。
ピアノ専攻 特別教授
岡原慎也