【YASSY】音楽も人生も、脱力して空っぽに――気持ちに素直な音だけが人の心に刺さる
今年、結成30周年を迎えるBLACK BOTTOM BRASS BAND(以下BBBB)。ニューオリンズスタイル*のジャズバンドとして全国ツアーや幅広いジャンルのアーティストとのコラボなど精力的に活動する一方、近年は一般財団法人「地域創造」の登録アーティストとして小・中学校でのアウトリーチ活動などにも力を注いでいます。今回はBBBBのリーダーで大阪音楽大学の卒業生でもあるYASSY(ヤッシー)さんに、バンド結成の経緯から音楽活動に対するスタンスや思いを伺いました。【1ページ目/全2ページ】
*)ニューオリンズスタイル…米国南部ルイジアナ州ニューオリンズで1900年代初頭に生まれた音楽。ブラスバンドを原型とし、トランペット、トロンボーン、クラリネットなどの3管が中心となったマーチング形式が特徴。その後のジャズのおおもととなったことから、ニューオリンズは“ジャズ発祥の地”と言われる。
とんとん拍子に進んだ、結成からデビューまで
――大学在学中はクラシック系を専攻されていたそうですが、ジャズの道に進むきっかけは?
在学中から赤松二郎先生がつくられた「DJO(DAION JAZZ ORCHESTRA)」に参加していたので、ジャズとの接点はありました。
本格的にジャズの道に踏み出す大きなきっかけになったのは、ニューオリンズスタイルの代表的なバンド「Dirty Dozen Brass Band」の来日公演でした。1993年6月、当時梅田にあった大阪ブルーノートでアルバイトをしていた後輩に「面白いから」と誘われて見に行ったんですが、演者と観客が一体となって作っていく会場の熱量や、観客も全員立ち上がって踊るライブに圧倒され「ブラスバンドで踊る!?」「こんなに楽しい音楽があるんや!」と衝撃を受けました。ちょうど大音の短大にジャズを学ぶクラスが開設された頃で、一緒にライブを見に行った後輩たちが「俺らも11月の学園祭でやってみよう」と結成したのがBBBBです。僕はその年の春に卒業していましたが、たまたまメンバーにトロンボーンの学生がいなかったこともあって「学園祭に出るので手伝ってください」「あ、えーよー」っていう軽いノリで(笑)参加することになりました。
YASSYさん
8月ぐらいから練習を始めて、最初はメンバーが持っていたビデオをみんなで見て、耳で覚えるところから。なんとか3曲ぐらい演奏できるようになった頃、「本場の人たちはストリートで演奏するらしい」という話を聞いて、僕らも難波や梅田など、ストリートで演奏するようになりました。
週末の20時ごろから23時までの約3時間。レパートリーが少ないので、20分ほど吹いたら休憩の繰り返しでしたが、街中でワーワー言いながら演奏していると人は集まるし、1日4ステージくらい回すと、投げ銭もかなりもらえて。学園祭が終わってからも「いいバイトだ」と(笑)、毎週のようにストリートで演奏していました。そのうち「君ら面白いから今度ウチの店でやれへんか?」「結婚式で演奏してくれへんか」など、聴衆の方からいろいろな依頼をいただけるようになり、94年に事務所に所属しました。
週末の20時ごろから23時までの約3時間。レパートリーが少ないので、20分ほど吹いたら休憩の繰り返しでしたが、街中でワーワー言いながら演奏していると人は集まるし、1日4ステージくらい回すと、投げ銭もかなりもらえて。学園祭が終わってからも「いいバイトだ」と(笑)、毎週のようにストリートで演奏していました。そのうち「君ら面白いから今度ウチの店でやれへんか?」「結婚式で演奏してくれへんか」など、聴衆の方からいろいろな依頼をいただけるようになり、94年に事務所に所属しました。
このころから東京スカパラダイスオーケストラやT-SQUAREのメンバーがライブを見に来てくれるようになり、学園祭や東京スカパラダイスオーケストラのライブの前座、武田真治さんのツアーでホーンセクションのサポートなど、活動の幅も広がっていき、さまざまな人とのご縁のおかげでバンド結成からわずか3年後の96年にメジャーデビューすることができました。
“聖地”はハッピーであふれていた
――ニューオリンズにはデビューしてから初めて訪れたそうですね?
ニューオリンズスタイルを掲げながら実際に現地に行ったことはありませんでした。だから、メディアのインタビューで聞かれてもどんなところか答えられない(笑)。「これは行かなアカン!」「どうせならレコーディングもやろう」と、97年に初めてニューオリンズに行きました。
ドキドキしながら初めて足を踏み入れた“聖地”は、これまためちゃくちゃ楽しい街でした。(大阪音楽大学がある)庄内ぐらいの小さい街なんですけど、メインストリートにライブハウスが密集していて、夕方から明け方まで街のどこかでライブが開催されているんです。僕らも楽器を抱えて毎日のようにいろいろなライブハウスに顔を出しましたね。行けば「一度吹いてみろ」と言われるんですけど、当時は何の予備知識も持っていなかったので、どう吹けばいいのかさっぱりわからない。「(間違えてもええわ)」と腹をくくって思いっきり吹いたら「お前たち面白いな!」と温かく受け入れてもらえて、そこから徐々に人の輪が広がっていきました。
滞在中のある日、現地の著名なピアニストが亡くなり、「お前たちも葬儀に出ないか?」と誘われました。参列した葬儀で演奏することになり、その様子が新聞で紹介されたことから、今度は「ラジオに出てみないか?」という話に。リリースされたばかりの1stアルバムをラジオでかけてもらうと、その後は街中で「お前らがBLACK BOTTOM BRASS BANDか?」と声がかかるまでになりました。
初めてのニューオリンズはわずか2週間の旅でしたが、人の温かさと音楽の力をしみじみ感じました。どこに行っても人は優しいし、みんなすごくリラックスして生きている。そして、彼らが奏でる音は「花が咲く」ような、どれだけ疲れていても自然と“ニコニコ”笑顔になれる音色でした。それまでずっと、ジャズは難しい音楽だと思っていましたが、音を少々間違えてもニコニコしていれば気にならないし、ハッピーな匂いがある人の周りには人が集まってくる。面白いこと、楽しいことを考えている人の周りには常にハッピーがあふれていると教えてくれたのがニューオリンズでした。
1997年2月・11月のニューオリンズ旅ダイジェストムービー(BBBB YouTubeより)