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闘うピアニストに学ぶ「自己実現のセオリー」➀


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さまざまな視点

コロナ禍を受けてデジタル化が急加速した近年では、SNSをはじめとするデジタルを活用したビジネスモデルがスタンダードになりつつあります。もちろんそれらは音楽家の活動とも切り離すことのできない存在です。この連載では、今私たちが身につけるべきSNSの効果的な活用法や飛び交う数多の情報を正しく受信する方法、自分の道を切り開くためのセルフプロデュース術を、大阪音楽大学准教授の“闘うピアニスト”赤松林太郎さんのお話からひもときます。(全5回連載)

【第1回】コロナ禍での闘い方

コロナ禍の直前には、パリに本拠地を移そうかと考えていた


2016年頃から海外のネットワークを強化させ、年間8回ぐらいはヨーロッパへ足を運んでいました。おかげでスペインにある音楽機関に招かれ、就職を本気で考えていたんです。すでにハンガリーのブダペストには拠点を持っていたので、ウィーンより東は動きやすかったのですが、西側には本拠地がない。自分の動きもネットの接続と同じで、いかに移動時間を減らし、最短距離で次の目的地にアクセスできるかが大切です。それらを踏まえて、かつての留学先でもあったパリの凱旋門近くにアパートを借りようと、2020年2月に渡仏しました。

2週間近くパリに滞在してからいよいよスペインに乗り込み、2日間のマスタークラスを行い、審査員長を務める国際コンクールのためにウィーンへ。しかしその頃、新型コロナウイルスがイタリアで蔓延し、国境を越えられない参加者が出てきたんですよね。いよいよ自分たちの背中にも迫ってきたのかと実感しました。そして3月2日に日本へ戻った途端、ヨーロッパ中がパニックになりシャットダウン。しばらく収束の可能性もなかったので、パリに住む夢も中断せざるを得ませんでした。

僕の仕事はこの先、どうなるのか――。

皆さんと同じように、3~5月は何をしたらいいのかわからない時期が続きました。とにかく情報をキャッチするしかなく、ヨーロッパのほうが先に事が進むだろうと、現地の情報がどう広まり、どう対応するかをずっと見ていました。日本語の情報を追っても遅いので、Facebook、YouTube、Twitter、Instagramなどで、現地発信の情報をひたすら確認する日々でした。

(PhotoAC)

いち早くスタジオでの配信環境を整え、オンライン講座を開始


しばらくはオンラインを活用するしかないと考えて、神戸の自宅に設けていたスタジオにビデオやマイクなどの機材を増やし、どう配信すればよいかを模索しました。今でこそオンラインが一般化していますが、コロナ禍に差しかかった当初は、参考にしようにも全国でほとんど前例がありませんでした。自らできることを思案し、まずはスタジオを有線化してからWi-Fi環境を整え、リスクマネジメントとしてもう一部屋もスタジオに改装したのが始まりです。大きな投資でした。

自宅スタジオの様子①

自宅スタジオの様子②


そのうえで何を配信するのかですが、僕が持っている武器は、演奏することと教えること。それまで年間70本ぐらい、週に3本ほど開いていた各地でのセミナーを、すべてオンラインにしようと考えました。当時はまだ、何のアプリがいいかもわからず、Zoomの使い方すら怪しかった頃です。まずは、どのマイクを使えばZoomでもある程度の音質を担保できるのか、どれぐらいの回線速度だったらスムーズにできるのかなど、試行錯誤の連続でした。みんなが動き始めたら回線がパンクしてしまうおそれがあったので、とりあえずテストしようと買い集めて。ここが落としどころだとわかったのが、2020年4月末。早い時点で対応できたおかげで、今なおスタジオからの配信をコンスタントに続けられています。

地上戦も空中戦も闘い方は一緒。それが今後の位置づけになる


オンラインはやがて疲弊していくという危機感が、当初からありました。それにどう対応していくか。やはり大事なのは、ツールよりも中身です。クオリティを確保し、一貫性、重要性、メッセージ性をもって伝えることは、オンラインであってもリアルであっても同じように大切。新しさばかりを追求する一発屋になるのはやめようと考えました。だから、さらに学び、学び続けることを止めてはいけないのです。

リアルでもオンラインでも、すなわち“地上戦”でも“空中戦”でも、基本的に闘い方は一緒です。大当たりを狙わず、確実に自分が納得できるクオリティを継続することを重視する。それが自分の演奏家や教育家としての今後の位置づけになりますからね。YouTuberになるのか、演奏家になるのか、教育家になるのか、いずれにせよクオリティがあってこその話。そこを見誤ってはいけません。


自分はどうあるべきか、どう見られるべきか、どう認められるべきか。自分のなかでの肯定と他者による肯定、その両方に接点があってこそ、“仕事”は生まれます。自分がこうなりたい、こうあるべきだという自分のこだわりやプライドを守り続けるべきか、形を変えるべきか。僕自身、悩み続けてきましたが、“分相応”という言葉がある通り、両足がしっかりと地についているところから始めて、人生の旅を展開していくほかない、それが一番幸福が得られると考えたんです。

他者からどういうスタイルが望まれているのかを客観視したとき、当然のことですが20代のような瑞々しさやあふれる将来性ではありません。スターダムに活躍するメジャーピアニストでもないのであれば、今まで20年間やってきたことを、そのまま続けていくだけでいいんじゃないかと。つまりは、演奏と教育と研究です。演奏に関しては、リアルでできるときはリアルでやる。コロナ禍でもやがて、コンサートの本数は戻ってきています。来日できない海外の演奏家の代役の依頼も入るなど、コロナ禍を機に仕事の幅が広がったのも事実。これまで発信を続けてきたからこそ得られたチャンスだと感じています。

40代に入ったから言えることですが、若い頃からの試行錯誤や経験値は人生の財産です。決して裏切りません。そのことを信じて、自分の形を時代の流れに適応させる柔軟性を持てるかどうかなのかもしれません。

Interview&Text/三浦彩
Photo/本人提供


赤松林太郎(Rintaro Akamatsu)
世界的音楽評論家ヨアヒム・カイザーにドイツ国営第2テレビにて「聡明かつ才能がある」と評され、マルタ・アルゲリッチやネルソン・フレイレから称賛された2000年のクララ・シューマン国際ピアノコンクール受賞がきっかけとなり、本格的にピアニストとして活動を始める。
1978年大分に生まれ、2歳よりピアノとヴァイオリンを、6歳よりチェロを始める。幼少より活動を始め、5歳の時に小曽根実氏や芥川也寸志氏の進行でテレビ出演。10歳の時には自作カデンツァでモーツァルトの協奏曲を演奏。1990年全日本学生音楽コンクールで優勝。神戸大学を卒業後、パリ・エコール・ノルマル音楽院にてピアノ・室内楽共に高等演奏家課程ディプロムを審査員満場一致で取得(室内楽は全審査員満点による)、国際コンクールでの受賞は10以上に及ぶ。
国内はもとよりアジアやヨーロッパでの公演も多く、2016年よりハンガリーのダヌビア・タレンツ国際音楽コンクールでは審査委員長を務め、ヨーロッパ各国で国際コンクールやマスタークラスに度々招かれている。キングインターナショナルよりアルバムを次々リリースする一方、新聞や雑誌への執筆・連載も多く、エッセイや教則本を多数出版。メディアへの出演も多い。
現職は、大阪音楽大学准教授、洗足学園音楽大学客員教授、宇都宮短期大学客員教授、Budapest International Piano Masterclass音楽監督、Japan Liszt Piano Academy音楽監督、カシオ計算機株式会社アンバサダー。