戦争と音楽

日米開戦後の約1年、日本軍は東南アジア諸国を次々に占領していった。そんな中、音楽は人心を鼓舞・慰安し、団結力を生み、銃後における人々の労働生産能力を上げる、いわば一つの武器とも足り得るものとして積極的な活用が推奨された。特に軍歌は内閣情報局の後援で、全国的に「国民歌唱指導」なるものが展開され、全国民に普及徹底がはかられた。藤原義江、四家文子など著名な歌手たちを擁する歌唱指導隊20班が全国各地の農山漁村、工場鉱山などに指導行脚を行った。

本校も「大阪音楽学校大演奏会」、卒業演奏会、創立記念演奏会など、従来の演奏会とともにこの頃より、益々軍事色の強い演奏会への出演が多くなる。1942年(昭和17年)は元旦の「必勝誓願音楽大会」を皮切りに、2月17日「戦捷祝賀と感謝の夕」、3月8日「大東亜戦争陸軍軍歌発表会」、11月3日「愛国大合唱の夕」、12月1日「大東亜戦争一周年記念<音楽の夕>」などが続く。

 

白浜傷痍軍人療養所での慰問演奏(昭和17年頃