戦時下、音楽家も外地へ

戦時下において文学者など多くの文化人が外地にわたったことはよく知られているが、音楽家も例外ではなかった。山田耕筰や近衛秀麿らが自作自演のために満州、上海などで活動し、日本の作曲家の作品が国外(占領地)でさかんに演奏されたのも戦争が引き起こした現象であった。

演奏活動もままならない国内の状況のなか、関西では朝比奈隆が陸軍情報部の中川牧三(オペラ歌手として関西で活躍していた経歴をもつ)の指示により、上海に招聘された。当時、上海には亡命ロシア人やユダヤ人演奏家を擁する上海交響楽団(創立1879年)があり、その演奏水準は当時の日本人オーケストラとは比べるべくもなかった。朝比奈は1943年12月19日を皮切りに、計6回の定期演奏会で指揮をとった。また帰国後、再び、満州にわたり、新京交響楽団、ハルビン交響楽団の指揮をとり終戦を迎えた。

 

朝比奈指揮の上海交響楽団定期演奏会の広告

1943年(昭和18年)12月17日 Le Journal de Shanghai(上海発行の仏語新聞)

 

昭和20年3月10~22日 全満合同演奏会  朝比奈隆指揮、辻久子独奏 ベートーヴェン《ヴァイオリン協奏曲》

『厚生文化』3、4月合併号 1945年(昭和20年)4月