終戦前後の演奏会とラジオ放送

8月15日の終戦の日の前後、演奏会とラジオ放送はどのような状態だったのだろうか。

まず、戦時中、大阪での最後の演奏会は現存の資料によると次のようなプログラムであったと思われる。

昭和20年7月28日 朝日新聞

終戦後、大阪での最初の演奏会は、10月7日の「第1回市民音楽文化の会」だと思われる。

そしてラジオ放送については新聞のラジオ放送欄によって当時の状況を知ることができる。玉音放送のあった8月15日の終戦当日のみラジオ放送欄はなく、代わりに翌日の新聞に「15日午後より一般放送を中止」と記載され、全国放送ではこの15日より当分の間一般の放送をとりやめ、時報と報道、官公署の時間、子どもの時間だけ放送する、としていた。

そして8月27日から一般放送は再開され、8月28日には日本放送交響楽団によりピアノ協奏曲(タイトルは不明)が演奏されている(日響は、戦後9月14、15の両日に定期演奏会を開催している)。当時、生演奏以外には「音盤」と特記されているので、28日の演奏は日響が演奏したものとおもわれる。その後、徐々に音楽プログラムも増え、レパートリーも彩りが増してくる。意外にも9月の番組表には現在の放送とそう変わらない曲目が並んでいる。15年という長きにわたった戦時期の抑圧からの精神的な復興と解放をラジオ放送が支えていたのかもしれない。 

一般放送中止を伝える新聞記事

昭和20年8月16日 毎日新聞