戦時色に包まれる音楽学校

1937年(昭和12年)に日中戦争が、その2年後には第二次世界大戦が始まり、戦時色が強くなっていく中、この頃から陸軍病院などへの慰問演奏、戦意高揚のための演奏会出演などが増えていく。国策としての「音楽報国」に駆り出されていくようになる。

昭和13年には永井校長の長男で本校の教員でもあった永井潔が出征し、昭和15年には本科在学中の男子生徒3名が応召につき、特別に卒業を認められるなど、本校も否が応にも戦争に巻き込まれていった。

 

昭和13年の卒業アルバム、生徒の寄せ書き

中央に永井校長、右下には《第九》の歌詞をもじったような朝比奈隆のメッセージも見受けられるが、「音楽報国」の言葉がこの頃の世相を表わしている

 

大阪音楽学校楽友会出版「合唱曲」一覧(昭和17年3月)

大阪音楽学校楽友会出版の楽譜も時局の影響とは無縁ではなかった。