服部良一、コロンビアレコード専属に

服部良一(1907〜1993)は、大阪音楽学校に在籍していた時期がある。出雲屋少年音楽隊でオーボエを手始めに、管楽器を演奏し、JOBKオーケストラに入団してからはフルート奏者として活動していた。同オーケストラの指揮者、メッテルに見いだされ、作曲の個人教授を4年にわたり受けたことが彼の人生の大きな転機となる。当時、急速に需要が伸びていたレコード生産の分野で圧倒的に人材不足であったアレンジャー、作曲家として和製ポップス(ブルース、ブギウギなど)を次々とヒットさせていく。

コロンビアレコード専属となってからは《蘇州夜曲》《別れのブルース》などが大ヒット曲となる。

戦時期には上海で李香蘭がうたう《夜来香ラプソディー》を編曲、指揮するなど、当時の上海音楽界の映画音楽作曲家たちにも大きな影響を与えている。戦後、香港で映画音楽に携わったことも、彼の国内にとどまらない足跡の一つである。

西洋音楽導入期とは芸術音楽とポピュラー音楽の境界があいまいで未分化な時代であったことを体現する作曲家であった。

 

大正12年9月 出雲屋少年音楽隊演奏風景

 

1939年(昭和14年)恩師メッテルを小牧丸(横浜港)船上にて見送る服部良一(左から二人目)と離日するメッテル(左から4人目)