合唱いよいよ盛んに〜アサヒ・コーラス団

わが国は世界でも有数の合唱が盛んな国であり、全国に合唱団は数万あるとも言われている。しかし、明治末期においても独唱でないもの以外、複数人数で歌うものはすべて“合唱”という言葉を使うなど、西洋音楽における合唱という概念が広く世間に浸透するようになるのは比較的遅かった。

教会の聖歌隊や音楽学校の生徒、唱歌教育を受けた学生サークルによって形成されたグリークラブなどを除くと、合唱団というものが一般市民の間で組織されるようになるのは大正期であり、そしてレコードやラジオといったメディアによって西洋音楽が大衆化し、洋楽愛好者がさらに増えた昭和期にかけて急速に広がりをみせる。昭和に入り、大学グリークラブ、音楽学校卒業生による合唱団、交響楽団と共演する合唱団など、多種多様な合唱団の名称がラジオ番組に見いだせる。

この年に開催された邦人によるオペラ《リゴレット》関西初演にも東京からの合唱団に加えて「アサヒ・コーラス団」が名を連ねている。

アサヒ・コーラス団は1926年(大正15年)に大阪朝日新聞社主催の全国中等学校野球大会(現・全国高等学校野球選手権大会)の応援歌を歌う合唱団を募集した(このときは男性のみ募集)のをきっかけに結成された。60名を超える応募があったようだが、結成当初のメンバーは旧制中学2年生から唱歌の教師、専門学校生や商人に勤め人など様々であったという。翌年には混声合唱団となり大阪朝日新聞社主催の野球大会で活躍するほか、オペラやこの時期の合唱付き交響楽作品に数多く参加している。1934年(昭和9年)1月17日には「合唱の夕」として朝日会館で単独の合唱演奏会を開催している。本格的な合唱団の先駆け的存在であった。1973年(昭和48年)に大阪フィルハーモニー合唱団として発展的解消を遂げ、現在も大阪フィルハーモニー交響楽団の専属合唱団として活躍している。 

 

大阪中央放送局で「野球大会の歌」を歌うアサヒ・コーラス団

 (昭和2年8月11日 大阪朝日新聞)