ラジオの時代と放送管弦楽団

昭和になってラジオ(当時はラヂオと表記)は娯楽の大きなメディアとなっていった。もちろん、洋楽以外の日本音楽や民謡のプログラムもあり、浪花節がラジオを通して大流行していた。ピアノ伴奏の浪花節まで登場し放送されたのが昭和8年のことである。

交響曲や室内楽、合唱曲など、関西在住の音楽家や、東京や外国からの音楽家の生演奏をラジオを通じて楽しむ、あるいはピアノ作品解釈講座など啓蒙的な番組も放送されていた。

当時のSPレコードの録音時間が非常に短かったこともあり、ラジオは長大な作品を中断せずに聴くことができるという点で、すぐれたメディアだった。

この年、東京放送管弦楽団創立に先立つこと4年、大阪中央放送局(現・NHK大阪放送局)内に全国初の放送管弦楽団「大阪ラヂオオーケストラ」が誕生し、10月17日に第一回演奏会を開いている。当時音楽関係の企画が多かったので、完全に放送局専属の楽団として編成された。全国から団員を募集し、選考の結果15名が選ばれた。

音楽番組はもちろん、ラジオドラマの伴奏や演奏会でも活躍した。のちにメンバーは35名に増え、「大阪放送管弦楽団」と改称。以後、団員数もさらに増え、戦後も大阪放送交響楽団の名で活動し、関西の音楽界に大きな影響を与えた。つまり、1925年(大正14年)に誕生したJOBKオーケストラが改称して大阪フィルハーモニック・オーケストラとなり、この大阪フィルが解散し、大阪ラヂオオーケストラが誕生、改称して大阪放送管弦楽団へ、と改称と再編を繰り返したことになる。