名演奏家たちのアジアツアー

1920年代から30年代の二つの世界大戦にはさまれた戦間期になると、世界的ソリスト達が次々に来日公演をおこなうようになる。

そして1926年に朝日会館が開館すると、大阪公演は必ず朝日会館で、という時代になる。

大物演奏家の場合、 A.ストローク(Awsay Strok、ユダヤ系ラトビア人)がプロデュースすることが多く、公演主催は「朝日新聞社会事業団」(現・朝日新聞厚生文化事業団)である。ストロークは長く上海に在住していたため当然、これらの演奏家たちは上海でも公演を行っている。そればかりか、これは音楽家、舞踊家たちがアジアの諸都市をまわる「アジアツアー」でもあった。大阪は、東京や場合によっては名古屋、京都、神戸と同様に、アジアツアーのなかの拠点都市に組み込まれていたのである。

当時のプログラムは西洋人演奏家の場合(一部の邦人演奏会も)、欧文、日本語二カ国語表記が主流であった。ハイフェッツの場合、大阪、京都、神戸と関西だけでも3カ所(このほか、東京、名古屋でも公演があった)で4夜の公演をおこない、プログラムは4夜それぞれ異なる内容となっている。料金はA席が5円、邦人演奏家の2〜3倍の価格であった。

ストロークがプロデュース、朝日会館が会場となった主な公演(演奏家たちは大阪以外も数カ所を巡業することが多かった)

1929年10月30日、11月2日 アンドレアス・セゴヴィア(ギター)

1930年10月3、4日 エフレム・ジンバリスト(ヴァイオリン)

1931年2月4、5、7、8日 ザハロフ夫妻舞踊公演(バレエ)

1931年6月5、6、7日 ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)

1931年10月3、4日 ヤーシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)

1935年4月26、28日 アルトゥール・ルビンシュタイン(ピアノ)

     6月5、7日 ガリ・クルチ(ソプラノ)

1936年5月5、7、10日 エマヌエル・フォイヤマン(チェロ)

  6月4、5、9、10日 ジャック・ティボー(ヴァイオリン)

  10月15、16、18日 グレゴール・ピアティゴルスキー(チェロ)

1936年2月12、14、16、19日にはフェオドール・シャリアピン(オペラ歌手・バス)がストロークのプロデュースにより朝日会館ではなく、大阪市中央公会堂でリサイタルを開催

 

ハイフェッツ上海公演の新聞広告(上海の仏語新聞Le Journal de Shanghai1931年11月8日)

日本公演と同じようにストロークのマネジメントであることが明記されている