日本人ソリストによる音楽会

大正に入り、日本人ソリストの名前が新聞の演奏会記事のなかに目立つようになってくる。

明治期には和洋混交(邦楽系の諸ジャンルと西洋音楽)の「慈善音楽会」が主だったのが、この頃になると西洋音楽のみの音楽会へと徐々に内容も統一されてくる。

1916年(大正5年)には、ピアニスト小倉末子、久野久子の名が冠された音楽会の記事が新聞に掲載されている。

久野久子が天王寺公会堂で、大阪音楽学校楽友会が主催する独奏会を行った際には、紋の入った黒い留袖でピアノを演奏する姿が掲載され、当時は演奏時の正装がいまだ洋装ではなく和装であったことがわかる。