山陰地方への演奏旅行

校長永井の故郷が鳥取であったことによる縁もあったのであろう。

教員を主にした25名の演奏旅行先には山陰地方が選ばれた。

汽車にのり、長い旅路をへての地方演奏会は西洋音楽の演奏にふれる機会が少ない地方都市への洋楽普及の意図と大阪音楽学校の存在をしらしめる効果も考えてのことであったろう。

しかし、この演奏旅行は大赤字であり、大阪に送金依頼の打電をしたという逸話が残っている。

山陰での演奏風景(大正5、6年頃)