味原町の校舎

地下1階、地上3階の味原校舎(鉄筋コンクリート)は、大阪城から南へ2キロほどの味原本町(現在の高津高校の南隣)に建設された。難波にも近い大阪市の中心部に近代的な校舎を建てることができた。そのときの感慨を永井は文章として残している。そしてそのなかの下記の部分は現在も「建学の精神」として受け継がれている。

「永遠之の学校が大大阪否な関西音楽の中心となるべき発達を遂げ 終に世界音楽並に音楽に関連せる諸般の芸術は之の学校によって統一され 新音楽新歌劇の発生地たらんことを祈願するものなり」(ひらがな部分は原文ではカタカナで表記されている)

当時の関西洋楽界はいまだ揺籃期にあり、このことばには、音楽学校こそが人材を育て、音楽文化をつくりあげていく、という気概がこめられている。夜間から昼間の授業へとようやく学校としての体制が整ったのもこの時期からであった。

味原校舎屋上にて(撮影日不祥)