永井幸次(1874〜1965)

作曲家、音楽教育家、大阪音楽学校(現 大阪音楽大学、同短期大学)の創立者

1874年(明治7年)、鳥取市西町に生まれる。

永井と西洋音楽との出会いは生地、鳥取での教会の賛美歌であった。その後、外国人教師によって西洋音楽の素養を身につける。

1892年(明治25年)、上京し東京音楽学校に入学。写真1は東京音楽学校時代、同郷の岡野貞一(《ふるさと》の作曲者)とともに。

卒業後、静岡や郷里で唱歌とオルガンを指導する。1905年(明治38年)神戸市中宮小学校へ転職。その後、大阪府立清水谷高等女学校に転任し、「七声会」に参加。このころから、田中銀之助とともに、音楽教科書の自主編纂を行い、さらに幼稚園・小学校の唱歌教育の改善も進める。作曲および楽譜出版で得るなどした私財を投じ、大阪音楽学校を設立、生涯をかけて西洋音楽の普及に尽くした。

写真1 左より永井、岡野貞一、瀧廉太郎 写真2 オルガンを演奏する永井幸次