関西オペラ協会設立

前年、大阪音楽高等学校の声楽教員が中心となった関西音楽研究集団が初めて関西人による本格的なオペラの舞台公演《カヴァレリア・ルスティカーナ》を行い、大阪・京都での3日間昼夜2回の公演は成功に終わった。しかし継続的にオペラの公演をするということになると、オーケストラ、良き指導者、そして何よりも莫大な資金が必要となり、なかなかその先に進むことができずにいた。

そんな中、関西交響楽団を率いる朝比奈隆が「関西でもオペラをやろう、オペラ運動を起こそう」と呼びかけ、大阪朝日会館の後押しもあり一気にオペラ団体設立の機運が高まった。当時の朝比奈は2年前の1947年(昭和22年)に関西交響楽団(現・大阪フィルハーモニー交響楽団)を結成し、オーケストラの次はオペラだとの思いを抱いていた。オーケストラを作り、オペラをやりたいというのは朝比奈の若い頃からの念願だったのである。また大阪朝日会館にとっても藤原歌劇団などの在京の団体の公演をするのに、この頃150%という高率な入場税に加え高額な旅費、宿泊費などを払わなければならず、最初から赤字予算で計画を立てねばならないという苦しい状況があった。関西にオペラ団体ができれば、少なくとも旅費と宿泊費という経費は圧縮できるのである。

1949年(昭和24年)1月下旬頃、大阪朝日会館に関西音楽研究集団を中心とする歌手たちが召集され、朝比奈、関西交響楽団の野口幸助事務局長、大阪朝日会館の十河厳館長らによる話し合いが持たれた。関西でオペラをやりたいという歌手たち、オペラがなければ音楽が完成したとは言えないとの信念を持つ朝比奈、経費面だけではなく、関西楽壇を振興させていくためには関西にオペラ団体が必要であると考える朝日会館、それぞれの思惑が一致し、関西オペラ協会の発足が決定される。

第一回公演の演目はヴェルディのオペラを最も高く評価していた朝比奈により《椿姫》と決定され、この年の6月18、19日に大阪朝日会館にて朝比奈指揮、関西交響楽団の演奏で開催された。この公演に向け、朝日会館屋上の東北隅にある練習場で稽古を行っていたある日、偶然関西公演に来ていた俳優の宇野重吉が現れ、歌手たちの演技のまずさにたまりかねて指導を行ったことがあるとのエピソードが残っている。ほとんどの歌手が演技をすること、指揮棒を見ながら動くことは初めてという状態であった。その評価については昭和24年6月20日の朝日新聞紙上に厳しい指摘もあったが、「どうしても関西に関西人のオペラを持たずにはいられなかったという情熱がにじみ出ている。」とあり、この公演にかける関係者全員の熱意は伝わったようである。尚、上演は朝比奈の「オペラは民衆的であり国民的である以上、どうしてもその場所の国語でなければならない」との考えにより、朝比奈自身の訳詞によって行われ、以後全ての上演作品は朝比奈が訳詞を手がけている。

のちに関西歌劇団と改称されるこの関西オペラ協会は、1950年(昭和25年)に設立された社団法人関西交響楽協会に関西交響楽団とともに所属し、1986年(昭和61年)に同協会より独立するまで密接な関係が保たれた。約40年間、朝比奈隆、関西交響楽団とともにオペラ活動を展開していくことになる。

 

関西音楽研究集団会員証 

昭和23年6月19~21日の第一回公演《カヴァレリア・ルスティカーナ》の日に使用されたと思われる。

 

「関西オペラ協会」発足決定を伝える記事

(昭和24年2月25日 大阪朝日会館発行「DEMOS」第7巻第3号)

 

1949年(昭和24年)6月18、19日 関西オペラ協会第一回公演 ヴェルディ《椿姫》(大阪朝日会館)

出演者(プログラムより)