短期大学設立に向けて

1950年(昭和25年)春、水川新理事長をはじめ、組織の陣容も新たに、教職員、同窓会、父兄会が一体となって、宿願である短期大学設立に向けて動き出す。問題はまたしても運動場探しであった。高等学校設置の際に一旦借用契約を交わした土地にはすでに家屋が建ち、使えなかったのである。苦慮した結果、北隣の大阪府立高津高等学校裏に空き地を見つけ、同校校長の仲介も得て、新たに借地契約を結ぶことができた。9月30日、「大阪音楽短期大学」設立を申請し、文部省からは「追って適地を見つける」ということで内諾を得る。この年の4月に短期大学制度が発足したばかりで、当時は短大設置が奨励されていたのも追い風であった。

母校のさらなる飛躍のために同窓会と父兄会も立ち上がった。同窓会主催、P.T.A.後援で、11月19日に「大学設置基金募集文化祭」を開催したのである。大阪市中央公会堂を会場に、音楽会、演芸会、ダンスパーティー、模擬店とバラエティに富んだ内容であった。演芸会には二代目春団治など当時の人気芸人を招き、音楽会は合唱以外、すべて教員と卒業生が演奏を行った。この時どれほどの基金が集まったのかは定かでないが、これが本校初の文化祭であった。

 

大学設立を呼びかける広告
(昭和23年6月19~21日「関西音楽研究集団第一回公演《カヴァレリア・ルスティカーナ》」プログラムより)

 

大阪音楽高等学校職員組織一覧表

(昭和25年5月26日「大阪音楽高等学校春季演奏会」プログラムより)

 

昭和25年11月19日「大学設置基金募集文化祭」音楽会 プログラム

 

模擬店チケット