大阪音楽高等学校の誕生

1947年(昭和22年)に学校教育法が公布され、新制高等学校は一年間の準備期間を経て昭和23年度より発足した。本校は付帯条件の運動場確保に手間取り、遅まきながら昭和23年2月4日に「財団法人 大阪音楽高等学校」への名称変更、3月早々に「大阪音楽高等学校」設置許可の申請を提出した。当時の味原校舎は庭地さえなかったため、近くの銀行所有地である焼け跡の一角を近く買い取るということで借用契約を結び、何とか申請にこぎつけたのである。

申請から2か月後の4月1日、大阪音楽高等学校は認可され、開校する。ただし6か月以内の運動場拡張が条件とされていた。永井幸次が理事長、および校長に就任した。前例の少ない全日制・男女共学の音楽科新制高校の誕生であった。あわせてこの高校の上に音楽学校時代の師範系の専攻科を専門実技専修のための専攻科(二年)と切り替えて開設し、将来の大学設置に備えた。

生徒は1学級40名で、本科からの転入者、二、三年編入者などもいて、年齢はまちまち。授業科目は声楽・ピアノ・管弦楽器・音楽理論・一般教養で、この一般教養には音響学、音楽史などがあり、体育は社交ダンスなどを教えていた。授業は三学期制とし、音楽実技については二期制をとった。

音楽教員は音楽主任・朝比奈隆(指揮法、楽式)、教務・野口源次郎(音楽理論、作曲、合唱指揮)をはじめ、校長以下31名であった。

 

1948年(昭和23年)4月1日 大阪音楽高等学校認可書