戦後初の演奏会

本校の戦後初の演奏会は天理高等女学校(現・天理高等学校)校友会主催の音楽会であった。これは戦後まもなく天理高等女学校の村上英雄校長が、天理教教祖が自ら記した“おふでさき”と呼ばれる教えを全校生徒に伝え、戦争で傷ついた生徒たちに豊かな情操を取り戻させようと、同校で音楽教員をしていた本校の卒業生を通じ、永井校長にその“おふでさき”の中の三首を歌詞に歌を作曲依頼したという縁によるものであった。

その歌を発表する場として、教祖六十年祭期間中の昭和21年1月27日に天理高等女学校講堂で、本校生徒職員約120名による演奏会が催されたのである。この時、村上校長作詞・永井校長作曲の《教祖六十年祭奉祝歌(おしえのおやむそとせのまつりほぎうた)》もあわせて発表されている。

村上校長は後日、その時のことを「永井先生苦心の曲は満堂の生徒に異様な感動と興奮を与えた。」と述べている。(昭和45年6月21日 天理時報)この“おふでさき”はその後も山田耕筰、團伊玖磨、池辺晋一郎などによって作曲されているが、「おうた」と呼ばれるそれらの曲の第一号がこの日発表された永井校長作曲の《やまさかや》という曲で、今でも天理中学・高等学校の卒業式に歌い継がれ、広く信者に親しまれているという。

 

プログラム

 

昭和21年1月28日 60年祭日報より 天理時報(天理教道友社提供)

 

その後、3月7日に本校主催としては戦後初の演奏会が毎日会館(現・国民会館)において、毎日新聞社の後援で行われている。折しもこの3月に発疹チフスが大流行し、大阪府が劇場等を22日に急遽閉館する直前のことであった。

「大阪音楽学校春季演奏会」プログラム