大阪音楽学校と朝比奈隆

朝比奈隆は一度卒業した京都大学に、音楽を目的として再入学し、二度目の学生生活を送ることになる。彼が音楽理論と指揮法を個人的に師事したのはロシア人エマニュエル・メッテルであった。そのメッテルは、京都大学とJOBKラジオ放送(大阪中央放送局)オーケストラの指揮者として、関西に本格的な西洋音楽をもたらした人物である。

朝比奈は恩師である本校教員のチェリスト伊達三郎の紹介で、1934年(昭和9年)本校に奉職。音楽史、美学などの講義を担当し、1942年(昭和17年)大阪放送管弦楽団の専属指揮者となり一旦退職するが、戦後復職。一時期、校内のスタジオ兼講堂を自身の率いる関西交響楽団(現・大阪フィルハーモニー交響楽団)が使用するといった密接な関係もあり、亡くなるまで本学名誉教授であった。

2月18日 大阪音楽学校創立記念音楽会 プログラム

朝比奈隆の指揮者デビュー曲はプログラム5番のポッパー《ハンガリア狂詩曲》であった

 

昭和12年頃 職員室風景(左、手前から4人目が朝比奈隆)

 

昭和11年頃 演奏旅行先の宿舎にて 

左から山田康子、朝比奈隆、長井斉、永井校長、木村四郎、伊達三郎、田中平三郎