戦後、躍動する作曲界

戦後から1950年代にかけて、戦時下の停滞を取り戻すかのように、作曲界では同人発表会などを行うグループが数多く結成された。

1947年(昭和22年)には「新作曲派協会」(清瀬保二、松平頼則、早坂文雄ほか)、1948年(昭和23年)には「地人会」(平尾貴四男、安部幸明、高田三郎、貴島清彦ら)が結成され戦前からの堅実な作風をみせた。

一方で、戦後の新たな時代意識が1949年(昭和24年)に公開作品発表会を開催した「新声会」(柴田南雄、中田喜直、入野義朗、石桁真礼生、戸田邦雄、別宮貞雄ら)によって示される。新声会ではシェーンベルクの十二音技法を取り入れた作品が発表されるなどヨーロッパの20世紀音楽、あるいは前衛を意識した活動がなされていた。

ほかにも、1950年代に入ると「山羊の会」、「3人の会」、「深新会」、「葦の会」、「グループ20、5」、「新音楽の会」、そしてジャンルを越えた「実験工房」と数多くのグループが生まれるなか、1957年(昭和32年)に「現代音楽祭」(軽井沢で開催、ダルムシュタット現代音楽祭をモデルとする)をはじめた「20世紀音楽研究所」(発起人:柴田南雄、入野義朗、黛敏郎、諸井三郎)は戦後の作曲界を代表するグループになっていった。

一方、関西では大澤寿人らが1949年(昭和24年)に関西作曲家協会を結成している。大澤は1930年代のアメリカ、ヨーロッパのモダニズムをいち早く身につけ帰国、戦後はジャズの影響を色濃く受けた《サキソフォン協奏曲》などの作品を発表し、ラジオ放送を通じて近代音楽、20世紀音楽の紹介にも努めたが、1953年(昭和28年)に没している。